「言語聴覚士の50年の歩みと問題」を受講して

10月13日、リハビリセンターで森壽子先生の「聴覚障害を専門とする言語聴覚士の50年の歩みと問題」の講演がありました。

1970年、岡山に西日本初の川崎病院言語外来が設置され、聴覚障害専門の言語聴覚士として、聴覚障害児の訓練を開始。重度難聴児に言葉を話せる様になって欲しいと西日本全域から患者が来てたそうです。当時の補聴器の性能は悪く、音を大きくするくらいで、聾児・重度難聴児の訓練は大変だった。赤字で難聴言語外来の閉鎖のピンチに。その時、森先生の恩師高原先生が「金の卵を産むものばかりでは、医療は成り立たない。人を治す医療には、金の卵を産まない人間も必要だ」と理事長にかけあってくれ、親の思いにも必死に答え頑張った。補聴器装用による1歳からの訓練で、軽度難聴83%、中度難聴96%、高度難聴36%、聾は14%が9歳の壁を打破し、普通学級や難聴学級で学習が可能に、早期訓練の効果を立証する。現在は、補聴器の性能も良く、人工内耳装用の子供が増え、昔と比べ物にならないくらい訓練が楽になっている。当時、自分も森先生の訓練を受け、家で母と一緒に復習。めっちゃ厳しく大変でした。

1991年から、言語聴覚士(ST)を養成する教授として、学生のみならずST教員にも教える(ST教員は全員教育学部出身で臨床経験も無し)教科書も無く、ST教員にも教えることもあり、朝から夜遅くまでで家庭生活は無かったと。言語聴覚士の国家資格制度確立に奮闘され、1999年から国家試験が始まる。しかし、皮肉にも1995年頃、STは耳鼻科からリハ科所属へ、保険診療制度もリハ科中心にと先生の思いとは別の方向へ。1990年代は学会で聴覚障害の演題が多数で病院にも臨床の場があったが、2000年~9割が嚥下障害、高次脳機能障害の演題で、聴覚障害の演題は数%、最近は皆無の事も。現在、32,863人ST資格を取得。その内聴覚障害専門は2,017人、6%しか。

現在、先生は藤本耳鼻咽喉科クリニックで常勤のSTと勤務。患者さんにとっては、教授の先生よりことばの先生が大切と言われ救われたと。

聴覚障害者の問題は耳鼻科の仕事なのに、言語訓練はリハ科で耳鼻科では実施しない。高齢化で加齢性難聴者が増えているが、耳鼻科での受け皿が無い。70代後半の今も、聴覚障害の言語聴覚士の重要性を訴え奮闘されています。

私達、聴覚障害者も解決に向けて協力していきましょう。